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2004年1月のイギリス滞在記

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Jan 17. Sat.     ポルトガル旅行6日目

最終日の朝は比較的ゆっくりめ、最後のビュッフェ朝食(内容は普通だけど、パンはどれも美味しい!) を思う存分楽しんで、荷作り・チェックアウトも済ませて、荷物だけはホテルに預けて市内へ繰り出します。
地下鉄Arrois駅最寄のバス停から42番のバスを拾って
Museu Nacional do Azulejo:アズレージョ美術館へ。
バスは地元住民で大混雑、フリーパスのおかげか”お達者率”が非常に高い〜。
バスに揺られて、地図を見ながら降りる場所を検討していたら、近くのおじさんおばさんが『次だよ次!、ココだよ!ココ!』と 皆が口々に教えてくださいました。親切なんだなぁ〜。
ポルトガル語話せなくても、相手が英語分からなくても、 とりあえず聞いてみてください、きっとなんとかなります(^^;)
この美術館の建物は元々Madre de Deus Conventという教会だったそうです。 今も館内には教会だった頃の煌びやかな礼拝堂が保存されています。
アズレージョの語源 アラビア語の『al zulaycha 又は zuleja』から来ていると云われています
英語で言えば「A little Polished Stone」、日本語では「磨かれた小石」ってところかな
種類 (1)Alicatado:一色に焼き上げたタイルを小さく割って、 各種の色・形でモザイク状に幾何学模様を作り上げたタイル
(2)Arista:模様を型押しし、それに色をつけたもの
(3)Cuerda-seca:無地の白のタイルに絵を書いたもの
変遷 13世紀頃の初期はイスラムの影響を受けた幾何学的な模様のタイルが使われていましたが、 シントラの王宮をタイルで飾ったマニュエル一世の時代=15世紀に入るとヨーロッパルネサンスの影響もあり、 草花や植物の葉等の物体を象ったデザインが取り入れられるようになりました。
この頃のタイルはスペインのバレンシアや後にはセビリアから輸入されたものが多いようです。
Arista技法を使った美しいアズレージョ
特に一番右の葡萄の葉を象ったタイルは葉の膨らみが浮き出しているデザイン、 同じタイルがシントラの王宮で使われていました。
18世紀頃にはCuerda-sec技法を使って、宮廷や貴族の生活を描いたこんな大きなパネルが制作されるように。
周囲に額縁のように凝った装飾の枠をあしらい、それを天使が肩で支えるという意匠も多いです。 人物がマンガチックで笑える(^^;)
実はこの種類のタイルがこの美術館では一番多い収蔵品でした。
カラーのパネルも有り、宗教的モチーフを現したものも多かったです。 大パネルの一部ですが、鳥などの動物意匠はすごくラブリー♪
午後は、各種ポートワインをグラスで注文して飲み比べが出来るという
Solar do Vinho do Porto(The Portowine Institute)へ。
ここの様子は食日記に掲載しているので、こちらをご覧くださいませ。
ポートワインに興味のある方は、是非行かれることをお勧めします。
ポートをゆっくり楽しんで「リスボン魚」の旅に別れを告げた我々でした。。。

Jan 16. Fri.     ポルトガル旅行5日目

今朝は晴天に恵まれた!いざSesimbra:セジンブラへ!
といさんでバスターミナルへ出かけたら・・・高速バスは行った後;次のバスは2時間後;;;
再び気を取り直し、昨日中断した”目ぼしい教会廻り”を実行、バイロアルト地区へ。
Igreja de Sao Roque
天正少年遣欧使節がローマへ向かう前にポルトガルで滞在した寺院
建設が1565-1573年、少年使節の滞在は1584年、当時新しくて隆盛を誇った寺院なのでしょう。 同年彼等は無敵艦隊を擁する日の出の国スペインのフェリペ2世への謁見も許されています。
大志を抱いて華々しく送り出され、欧州の立ち寄り先&ローマで大歓迎を受けた彼等でしたが、 日本へ帰国してみるとキリスト教は広まるどころか禁止の動き、秀吉によってバテレン追放令が出されたり 長崎で26聖人が殉教したり、とうとう江戸幕府によってキリシタン禁止令が出されと、困難と不遇の道程。
千々石ミゲルは棄教、伊東マンショは長崎で死亡、原マルチのはマカオで行き現地で死亡、 そして中浦ジュリアンは長崎で殉教と不遇の人生を辿ったようです。
Convento do Carmo
バイシャ地区を歩きながらバイロアルト・シアード地区の高台に目をやると 必ず目に付くのがこのゴシック様式の建物です。1755年の大地震で屋根は崩壊し、以後この姿を晒しています。 現在は内部は美術館になっているようでした。
右)正面2階部分の丸窓が半分に;
左)セントジャスタの塔から見たConvento do Carmoの裏側部分
Elvador de Santa Justa
バイシャ&シアード地区の境にいきなりにょっきりと不釣合いな姿で聳える展望台、45メートル

パリのエッフェル塔の設計者エッフェルの弟子が設計・建築にあたり1901年にオープンしたのだとか。 確かに鉄柱の各所のデザインはアールヌーボーちっく(^^)
ここは15日・4日目の夜に私達が乗ったケーブルカーと同じCARRIS(バス・市電・ケーブルカーの運営会社)の経営なので CARRISのトラベルカードで登れちゃう。
展望台のトップの10畳程度のスペースには売店があり、椅子・テーブルも設置され、 小さなビヤレストランになっています。リスボン市内を見下ろしながらの午後の昼下がりのビール♪、いいだろなー。

高速バスの出発時刻を気にしながら地下鉄Praca de Espanha駅へ移動。 階段を上がってすぐ横にあるバスターミナルからバスに乗り込み(切符はバスの中で運転手さんから買う)、 リスボンから南に1時間の小さな漁村Sesimbra:セジンブラを目指します!
ガイドブック「Timeout」によると『リスボンのPoshなレストランのシーフードがやってくる小さな漁村』とあります。
「漁村で魚〜〜〜!」と期待は高まる。。。
先ずは海辺のレストランでくつろぎ、腹ごしらえ
(ご飯の中身はロンドン食日記でご覧くださいませ)
海が望める展望広場に傘つきの野外席を(勝手に?)広げ、 その横で煙突付きの大きな炭火グリルを持ち出し、モクモクと魚を焼いています。
ビールを片手にご機嫌の夫、オフシーズンで野外特等席は私達だけ、 光る青い海を横目に贅沢な食事となりました。
↑セジンブラのお城ははるか山の上;その下にはリゾートマンション?
町に着いてみたら観光客は殆ど見当たらず、地元の人が買い物をする小さなお店ばかりが目立ちます。 それでも諦めず、海辺に出てみたら、ようやくチラホラとシーフードを扱うレストランが。 この閑散ぶり、観光客にはちょっと物足りないかも!?
冬の静かな海は心が落ち着きます。
確かに々浜辺では、漁師?らしき人が、この海岸に張った何かの網を畳んでいる姿も見られ、漁村・・・なんでしょうねー。

Jan 15. Thu.     ポルトガル旅行4日目

今日は朝から雨、雨、雨。午後〜夕方にかけてどんどんひどくなり最後は土砂降り;;;
Igreja da Graca
Igreja de sao Vincente de Fora
アルファマ地区の更に上の高台にあり 教会前の
展望所からはサン・ジョルジョ城を左手に リスボン
市内を眺望、日暮れの景色が特に美しいとか。
リスボン市内でも一番古い教会の一つで創建は1271年。
Gracaから市電28番の線路沿いに坂を下りていく途中
正面に二つの塔を持つセント・ヴィンセント教会
ポルトガル最初の王様アフォンソ・エンリケがムーア人の
手からリスボンを奪回直後の1147年に基礎を築きました。
Se Catedral
12世紀にそれまでムーア人が市内のメインモスクを
築いていたその場所に建てられたそうです。
市電28番がアルファマ地区を上っていく途上にあります。
Igreja da Conceicao-a-Velha
小さな地元の教会という雰囲気で内装はあっさり
してますが正面ファサードは芸術的!?
Casa dos Bicos/通称”ダイヤの家”
正面ファサード一面がピラミッド状のトゲトゲブロックが張られている変ったアパートメント、 意外と古くて1523年にある裕福な商人によって建てられ、店舗兼倉庫として使われていたとか。
ガイドブックによっては内部見学可能とありますが、。今でもオフィスとして使われているようで この日はダメでした
アルファマからBairro Alto:バイロアルト地区にかけての目ぼしい教会巡りを予定していましたが、 濡れた靴に根を上げ予定は途中で切り上げ、午後は美術館でゆっくりしました。
Museu Calouste Gulbenkian
最寄地下鉄Sao Sebastiao
石油で財を築いたGulbenkianという人が隠居の地として過ごしたのがポルトガルだったそうで、 その個人コレクションが個人財団Fundacao Calouste Gulbenkianの管理の下に展示されています。
Gulbenkianさんは中東圏で活躍した人らしく、その収蔵品はエジプトから始まり、イスラム文化爛熟時代の トルコ・ペルシャ・シリアと広がっています。 特にイスラムの陶器・タイルが素晴らしかった!!!
中国陶器や日本(蒔絵や印籠)コーナーもあり、後半はルネサンスのイタリア絵画やタペストリーに始まり、 果てはフランスロココ時代の家具まで。
絵画では、ルーベンス、レンブラントに始まり、モネやミレーなどの印象派絵画も数点。 最後に、ルネ・ラリック部屋があり、 ラリックのデザイン画と共にアールヌーボーらしく植物と動物をモチーフにした 手の込んだアクセサリーが展示されていました。 ロンドンでアールヌーボー展が開催された時にパンフレットや本の表紙に使われた目玉「ドラゴンフライ」のブローチも 実はここの所蔵でした。

「美術館でゆっくり」と書きましたが、意外と美術館巡りって疲れるんですよね(^^;) 全部見終わった時には、もうヘロヘロ・・・・。
この後夫の希望で、少し離れた同じ敷地内にあるポルトガル人アーティストの作品を集めたモダンアートセンター も見学しましたが、残念ながら”みな小粒”という印象。 感銘を受ける作品には殆ど出会えませんでした。うん、ここはわざわざ行かなくてもいいと思う(−−;)。

ホテルに戻って一休憩の後、Bairro Alto:バイロアルト地区のファドレストランへ。 この地区は低地のBaixa:バイシャ地区に比べたらグーンと高台にあり、キツイ坂が必定なので、今回は 地下鉄駅:Restauradores近所のElvador:ケーブルカー(フニクラーレとも)Gloria線でラクチン。
常時上り・下り駅に一台ずつ待機。
途中すれ違いがあり、下り駅付近は単線の為
決められた運行スケジュールの下、同時運転しています。
ファドのお店で披露されたフォロクローレ(民族舞踊?)チームのダンス。
ファド歌手の前座&間繋ぎの役割か2回ほど出演、踊っているのはおじさん、おばさん(失礼)ですが、これがなかなか楽しい♪
肝心のファドは、数人のファド歌手が1人2,3曲ずつ交互に唄っていきます。ずっと誰かが唄いっ放しということではなく 一応レストランなので、途中には食事タイムも入りこのお店では『フォロクローレ、食事、ファド、食事、ファド、食事、 そしてフォロクローレ・・・』という順序で小刻みに進行していきました。
ファド歌手はギターラ(丸っこいポルトガル特有のギター)とギター、たった二つのギター演奏だけを従えて、心情こめて歌い上げます。 お店はオフシーズンの平日でガラガラだったけど、それでも手抜きせずに唄ってくださった数人のファド歌手の皆さん、ありがとう。

Jan 14. Wed.     ポルトガル旅行3日目

左)Castelo de Sao Jorge
サン・ジョルジュ城から、テージョ川を臨む
お城と云ってもムーア人の城塞跡で、今は城郭のみ。

中)Alfam:アルファマ地区の展望台

右)何だと思います? 
実はコレ城郭のすぐ外に設置された公衆トイレ。 看板にも"Urione"と書いてあります;水が流れているので臭いはありません(^^;)
現役らしく、丁度お城を観光に来たインド系家族連れのお祖父さん・お父さんが利用なさってました;;;
Belem:ベレン地区の老舗PASTEIS DE BELEM:パスティーシュ・デ・ベレンのパスティーシュ・デ・ナタ
数年前に日本で流行ったエッグタルトですね、ここのタルトはその昔ジェロニモス修道院から伝わったレシピで作られているそうです。 シナモンと粉砂糖がついてきてお好みで振り掛けて頂きます〜。
店内には可愛い青いタイルがボーダー状に張られていて、可愛らしいお店です。
Padrao dos Descobrimentos:発見のモニュメント
世界史の教科書に載ってましたねー。 一番先頭に立ち人々を導いているのが、ポルトガルの大航海時代の幕開けに努力したエンリケ航海王子(1394-1460)。
インド航路発見に情熱を燃やした彼ですが、ポルトガル船が喜望峰を発見したのは彼の死後1487年のことでした。 ちなみにマデイラ酒で有名なマデイラ島は1418年に、アゾレス諸島は1427年に発見されています。その後どんどんポルトガル船の東進は続き、 およそ100年後の1543年にとうとう極東の島・日本(種子島)に到達(漂着かな?)したのでした。
両横それぞれ16人ずつの大航海時代に活躍した人物と思われる姿があり、バスコ・ダ・ガマも居るそうです。
Mosteiro dos Jeronimos:ジェロニモス修道院、16世紀の統治者マニュエル1世が自分とその子孫の墓を納める為に建てた壮大な寺院。
内も外もゴレゴテ装飾ですが、こういうゴシック風の装飾、結構好きです。
建築費用に充てられたのがヴァスコ・ダ・ガマが遠征先から持ち帰った巨万の富だったそうで、 その関係からか?ヴァスコ・ダ・ガマのお墓(石棺)が寺院内入り口に安置されています。
ところでこの王様はタイルが大好きでシントラの王宮の部屋もあちこち当時の斬新なデザインのタイル張りにし、改装・増築を行ったそうで やはりそれも”マニュエル様式”と呼ばれていました。

Jan 13. Tue.     ポルトガル旅行2日目

宿泊ホテルの最寄地下鉄Olaias
派手派手で大阪万博みたいな駅!?
Cabo da Roca:ロカ岬/ユーラシア大陸の最西端
リスボンから電車で西に約45分のCascais:カスカイスから、約1時間半おきにロカ岬を経由してシントラへ向かうバスが出てます
カスカイスからロカ岬までは約30分。展望所にはロカ岬の経度・緯度を示したモニュメントが。
バス停すぐ横のインフォメーションでは、ロカ岬到達記念の証明書を発行してくれます(5/10ユーロ)。
オフシーズンなので殆ど観光客が居ないし、売店も開いてないし、寂しかった(^^;)
次のバスまで1時間半、孤独な最果てのロカ岬を堪能した後、 インフォメーションの横には心地の良い待合室で、くつろいでバス待ち。
Sintra:シントラの三つのお城
ロカ岬のインフォメーションでお城への道を教えて頂き、マップも貰えました。 再びバスに揺られて約40分、
1つ目はバス停&駅から徒歩約10分の距離にある、Palacio Nacional:王宮。 ちなみに三つのお城を回る巡回バスもあります。
14世紀に建造され当時の王様ジョアン一世が実際に住んでいたそうです。
その後も改造・建て増しが繰り返され、現在の形で残っています。白く突き立つ2本の煙突は、実際台所からの排煙として作られたもの。
イスラムチックに水盤設置の部屋があったり(壁もイスラム様式の城壁や門を模したタイル張り)、
モザイク模様の床のチャペルがあったりと、イスラムの影響を受けつつ育まれたポルトガルの建築様式を残しています。
王宮前から、二つ目のお城=ムーア人の城塞跡を望む
写真では見え難くて申し訳ないですが、山の頂に城塞の壁が残っています
三つ目のお城Palacio da Pena:ペナ宮殿は山の上にあります。
王宮近くのインフォメーションで巡回バスを待ち、狭い一方通行の坂(山)道をバスで登って行くと、 途中にムーア人の城塞跡への入り口も。
ペナ城入り口にバスが停まると、すぐ横に入場券売り場があります。入場券を買って入場してもすぐにお城には行きつかない;
邸内のまた更に激しい坂を約1km弱、自力で登るか、1.5ユーロ払って電動電車に乗るか・・・とにかく大変(^^;)
”ロマンチック”を目指して建造された近世のお城・ペナ城は、まさに19世紀のディズニーランド!
いろんな建築様式を取り入れて、ゴタゴタ飾られているところが、楽しい。
宮殿の中はシントラのお城と比べるとこじんまりとしていて、各部屋のサイズも小さく天井も低いのです。 雨が多い地域のようで、壁のあちこちは剥げ気味、部屋はどれもカビ臭く、 山頂の風にさらされ、南欧の城といえど、冬は辛かったかもしれませんね。

Jan 12. Mon.     ポルトガル旅行1日目

美しい雲海に
期待高まる
下左)Estacao do ROSSIO:ロッシオ駅 馬蹄型のエントランス
下中)Praca do Comercio:コメルシオ広場前 市電乗り場にて
下右)Praca do Comercio:コメルシオ広場から Rua da Augustaアウグスタ通りを望む

Jan 6. Tue.     "The Lord of the Rings"Exitibiton

South Kensingtonの自然史博物館に隣接して「科学博物館:The Science Museam』という博物館があります。 近代科学に関する展示を行っているのですが、今週末まで「The Lord of The Rings」特別展が開催されています、 これはもう行くしかないでしょう〜♪
展示の内容は当然写真撮影禁止だったのでお見せ出来ないのですが、三部作の映画に出てくる登場人物の衣装や小道具、 メインの場面や特撮を必要とした部分に関するメイキング担当者の話のビデオ等が流れていて、撮影時の苦労や工夫が よく分かるようになっていました。 ホビットを演じる役者と人間やエルフ役の体格差をどのように撮影したかについては、 実際よく分かるように内部に実演スタジオが設けられています。 二人の人物を別々に座らせて合成、ホビットンの美しい景色を背景にホビットサイズと人間サイズの 人間が二人並んでベンチに座っているかのような写真を撮影して貰えます(これは別に£3)。 ”マニア”にはとっても楽しい展示でした。
ただちょっと入場料(約£10)は展示面積の割りに高いかな〜!?と感じないでも無かった、流石人気映画、強気です(笑)
もし日本にこの展示がやって来たら、皆さんも是非ご覧くださいね。

Jan 5. Mon.     明日は”公現日”

明日1月6日は、キリスト教において「東方三賢人(博士)」がキリスト生誕後、ベツレヘムを訪れた記念日」とし、英語では"Epiphany:エピファニー"と呼ばれています。 クリスマスから数えて12日目なので、1月6日を”The Twelfth Day"、その前夜が"The Twelfth Night"と呼ばれる前夜祭です。
11月28日の待降節(アドヴェント)から始まったクリスマス期間も明日でお終い、 1月6日はクリスマス期間を華やかに演出してくれたクリスマスツリーやリース、 飾られたカードの類を片付ける日とされています。
『1月6日までに片付けないと魔女が来る〜』という風説もあり、ツリーこそ無い我が家もカードや飾りの類は6日までに片付けるようにしています(^^;)。
上から下まで掃除機をかけた今日のうちに、窓に飾った電飾も、生木のキャンドルリースもカードも、思い切って片付けました。 部屋の中はスッキリしたけど、ちょっと寂しい気分。
英国ではこれから春の3月or4月のイースターまで、行事らしい行事も無く、暗く長い冬を迎えるのです。あぁ、春が待ち遠しい〜。

Jan 1. Thu.     新年会

今年の元日もますみさんの御宅に集まり新年会、メンバーは昨年と微妙に入れ替わっていますが、昨年同様楽しくて美味しい会でした♪

2003年12月の日記へ

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